菊一文字則宗 〜 沖田総司

由来

福岡一文字派の祖で備前国の刀匠 則宗による作。則宗は鎌倉時代に後鳥羽上皇の第一の御番鍛冶と伝えられる。

皇位の紋である16弁の菊紋を銘に入れることを許されていた。一文字派は銘を”一”とだけ彫っていたので、菊一文字と称するようになった。

刃文は直刃調の小乱れ刃。細身で優雅な太刀。日枝神社に徳川綱吉より寄進された太刀があり国宝指定された。

沖田総司 菊一文字の逸話

新撰組最強と言われた新撰組の一番隊組長沖田総司が愛用していたと伝わるのが”菊一文字則宗”です。

ある日、沖田総司が懇意にしていた刀屋播磨屋道伯の自慢の菊一文字を鑑賞する機会があり、沖田総司は一目惚れしました。

しかし、到底手が出るような代物ではなく、自身の刀を研ぎ終わるまで一時的に借り受けることになりました。

沖田総司の嬉々とした様子をみた土方歳三が菊一文字則宗を購入しようとしたが、道伯に一万両という値を付けられました。

土方歳三が返答に困っていたとき、沖田総司の為に購入すると知り、総司を気に入っていた道伯は、沖田総司が愛用することを条件に譲り渡した。

実物の写真

参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋

レプリカ文具

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